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教員コラム(1) フィールドノートについて(徳丸)Faculty Column (1) About Field Notes (Prof. Tokumaru)

 フィールドワークには様々な道具が必要かと言うと、必ずしもそうではありません。フィールドノートとペン一本あれば十分に聞きとりの記録を行うこともできますし、極論すれば、聞きとりを終え、自宅に帰った後に、記憶から書き起こしができないこともありません。とはいえ、調査の場の記憶を記録し、後に自身の調査を想起するきっかけとなるフィールドノートがあるかどうかで、その後の研究の正確さ、思考の深さは大きく変わってきます。

 研究者が記録に用いるフィールドノートは実に多様なものがあります。市販の大学ノートや調査用の縦長のフィールドノートを使う方が多いと思いますが、私が使っているフィールドノートは、B5版のノートを真ん中から上下二つに切り分けたものです。上が清書用、下が調査の現場での筆記用という風に使うことになります。本屋や文房具店で売られているハードカバー形式の縦長のフィールドノートを使ったこともあるのですが、自分の癖で現地用ノートを二つ折りにしてズボンのポケットに入れることがあるので、結局折り曲げられるこのノートに落ち着いています。

 この形式のフィールドノートを使うことを教えられたのは私が学部生時代に民俗学の指導を受けた先生からです。その際、ノートへの記録は万年筆など水で滲むものではなく、鉛筆などを用いることと言われました。なぜボールペンではなく、鉛筆かというと、聞き書きの合間に文書など資料を見せてもらう場合があり、その際には、資料を汚す可能性のあるインクを使った筆記用具は不適当であるという理由でした。また、落とした時のために、自分の住所、氏名、連絡先電話番号を必ず書いておくことなどを教えられました。先生は、見開きの片面に、聞き書きその場での記録を鉛筆で行い、宿に戻った後、今一冊のノートに事務用の細い万年筆で転記・整理されていました。さらに二回目以降の同じ話者への調査では、前回聞いた話題について再び確かめる際に見開きの白紙の部分に追記されます。その先生が整理された、極めて緻密なノートは、今でも強く記憶に残っています。

 また、その先生は、調査から研究室に戻った後、さらにそれをB6のカードに転記し、事象ごとに分類されていました。カードへの転記と、それを用いた整理は当時の民俗学研究では一般的であったと思います。その先生と、また別の先生が調査でご一緒した際に、お互いに転写したカードを民宿の床いっぱいに並べて、それぞれの事象の相互関連について考えながら、意見を交換したそうです。私も、パソコンによるデータ整理に移行するまでは、現地ノートから清書ノート、さらにそれをカードに転記し、旧制五高の煉瓦造りの建物の古い教室いっぱいにそれを並べて考えるということを行っていました。書くことで記憶が整理され、さらにポイントごとに纏めたカードを相互に比較することで、民俗事象を比較考察し、分析を行い、一つの思考の流れを形作る。この方法には、その事象を伝え、語る人そのものを捨象するという問題点も当然あるのですが、民俗文化を考察する基本的なスタイルの一つとして今日でも有効であると思っています。

 さて、B5版大学ノートを上下に切り分ける方法は、実は、筑波大学の前身である東京教育大学の史学方法論研究室に民俗学研究室があった当時から継承されているものです。いわば、教育大系の民俗学研究者間の世代を超えた「形意伝承」です。屋敷神研究や中国民俗学研究で著名な直江廣治先生が中国調査に用いたノートを以前拝見したことがありますが、やはりこの形式のノートを用いられておりました。この横長のノート形式がどこに起源を持つかは正直、まだ良く判りません。私も東京教育大学出身の先生からこのスタイルを教えられたわけですが、先生は、無理にこの形式にこだわらなくても良いが、一度フィールドノートの形を決めたら、簡単には変えないようにすることと、ルーズリーフは頁がばらばらになって紛失してしまうので絶対に使わないよう指導されました。

 このフィールドノートの形式は、単に大学ノートを二分することで生じたものであった可能性もあるのですが、祭礼に際して集落の中でどのように頭屋を回すかを記録した祭礼帳などにも横長の形式を見ることができます。また、茨城県北茨城市の五浦美術館を訪れた際に、岡倉天心が今日で言う文化財の保護活動を行っていた当時の調査ノートが展示してありましたが、それは和綴じ横長であり、形式的には教育大のフィールドノートに類似するものがありました。

 現在は、パソコンでのワープロソフトや表計算ソフトの利用が一般化し、清書用のフィールドノートを経ずに、直接、パソコンに入力する、あるいは、録音した語りを書き起こす形に移行していますが、手を使って書くという行為が、フィールドワークの場から消えることはないでしょう。ビデオカメラやスマートフォンなどで映像を記録し、すぐさまYouTubeなどで配信・共有することもできますが、編集されていない撮影されたままの映像は、いわばその場をその時の時間軸でそのまま記録したものに過ぎません。フィールドノートには、調査する者が主体的に思考し、話者と会話し、その中から自らの研究関心に触れるものを引き出し、書き付けたものです。会話そのものではなく、その段階で、既に記録者による分析的記述が行われているものであり、清書という編集作業を経ることで、さらにデータとしての凝集性が高められて行きます。自分が何に関心を持って言葉を発し、話者は如何に考えて答え、その答えから何を引き出したか。話し、聞き、書いて考え、また話すという、一連のリズムは、フィールドワークの場において思考する際にとても大きな意味を持っています。

 

フィールドノート

これは私の学生時代のノートです。屋敷神のイラストを入れて写真と対照しています。

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