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教員コラム(5)博多の怪談(徳丸)Faculty Colum (5) The Ghost Stories of Hakata (Tokumaru)

 夏なので怪談について書こう。ここのところ感性が鈍くなり、幽霊話を読んでも、ホラー映画を見ても、寒気を感じるような感覚を味わうことが少なくなってしまっているのが残念である。しかしながら、子供のころから、いわゆる幽霊の話や妖怪の話は大好きであった。中学生のころ、柳田國男著『一つ目小僧その他』を、その題名に惹かれて読んだことあり、幽霊や妖怪への関心が、民俗学研究への導引の一部となったことは否めない。

 私が小学生から中学生にかけては、心霊写真やUFO(未確認飛行物体)、UMA(未確認生物)ブームのさなかであった。お昼のワイドショーや『3時のあなた』でも、夏になると毎日のように心霊特集などが組まれて、相談者の「霊的」な悩みについて「霊能者」が回答するようなコーナーも人気があった。超能力者のユリ・ゲラーの来日や、ニュージーランド沖での「ニューネッシー」の引き揚げ、ネッシーの水中撮影など、子供の話題には事欠かない状況であり、ツチノコなど子供が裏山で探せるような身近なUMAにも関心が集まっていた。雑誌の『UFOと宇宙』や、つのだじろうの『恐怖新聞』、矢口高雄の『バチヘビ』など、心霊現象やUFO・UMAに関する子供のイメージをさらに膨らませるメディアにも事欠かず、学校でも中岡俊也の『恐怖の心霊写真集』は、絶大なる人気があった。

 学校に伝わる様々な怪異譚を「学校の怪談」と総称するが、民俗学者である常光徹先生の著書『学校の怪談』の大きな影響もあって、今では民俗学以外でも普通に用いられる言葉となっている。思い起こすと、私が通っていた福岡市の小学校にも、学校の怪談が伝えられていた。

 当時は木造の旧校舎が残っていたのだが、そこに幽霊が出るという話で、放課後、仲が良かった友達数人と本当に出るかどうか、確かめに行った。幽霊そのものは出なかったのだが、立て付けの悪い教室のドアがいきなりガタガタと独りで音を立てた(と私たちは思い込んで)、「出た!」とばかりにその場を逃げ出した。翌日、教室の前に全員立たされて、無断侵入を深く反省させられたのも良い思い出である。

 あるいは、「かしまさま」という、学校の生徒から生徒へと渡り歩いている何かについての話も一時流行していた。「かしまさま」という名前を聞くと、三日の内、夜、寝ている時に、そのかしまさまがやってくる。「かしまさま」の名前を三度唱えないと足を切り取られると脅かされる。映画の『リング』ではないが、話の伝播・拡散と恐怖体験の伝染とが結びついたものであった。茨城県に住んでいれば「かしまさま」は、要石(かなめいし)で著名な「鹿島様」(鹿島神宮)が鹿嶋市にあるので、「なぜ神様の鹿島様が?」と素朴な疑問を持ったのではないかと思う。しかしながら、小学校周辺には、子供が知るような鹿島神社はなかったので(太宰府市には鹿島神社はあるのだが)、「かしまさま」と呼ばれる何か不気味なモノが家に来るという、夜を迎えるのが恐ろしいような気持ちを味わった。実際、夢か現か、その夜に白と黒の格子柄の着物を着た奇妙なモノを見た記憶があるが、これは、入眠時幻覚であったのだろうと、擦れたものの考え方をしている。「かしまさま」は、都市伝説としてネット上でも取り上げられているカシマサンと類似のものであるが、「かしまさま」の正体などは、当時は聞くことはなかった。

 さて、私の父親は、戦時中にあたる子供時代、福岡市の小姓町(天神町の近く)に住んでいた。小姓町は、黒田藩時代にその小姓たちが集住していた地域であり、昭和50年ころまでは、裏通りには、旧い住居が残されていた。父親は、町に伝わっていた話を、戦時中の生活体験などとともに、小学生の私に、寝入りばなによく話してくれた。そのいくつかを思い起こしてみよう。なお、以下は、すべて博多方言で話されたものであるが、正確に再現ができないため、一部を除いて標準語に置き換えて記述する。

 まめだの話 「小姓町には「まめだ」がいる。これは豆狸のことで、人を化かす。夜道を歩いていると目の前に長い塀が現れる。避けようと、右に行っても左に行ってもどこまでも塀が続いて、いつまでも歩き続けることになりへとへとになってしまう。これはまめだの仕業だから、まず、「この塀は良か塀やねー」と褒めると良い。塀に化けているまめだはそれを聞いて喜びはじめる。「ばってん、おしかねー。もうちょっと高さのあったらもっと良かとにねー」と続けると、まめだは調子に乗って塀を少し上に上げる。「ああ、良かねー。もうちーとあったら、もっと良うなろうけどねー」と続けると、それを聞いてさらに嬉しくなったまめだは、塀の幅を変えずに急いで上へと持ち上げてしまう。すると地面と塀との間に隙間ができるので、その隙間をさっと通ってしまうと良い。まめだは、人を化かす時には、その人の肩にちょこんと座っている。」

 狸にまつわる化かし話しである。「まめだ」という呼称が、かわいらしく、また化かされた本人が、反対にまめだをおだててだまし返すなど、恐ろしいというより、語る者と聞く者との笑いを誘う笑話となっている。農村や山村でフィールドワークを行っていると、狐狸に化かされたという話は今でも聞かれる。阿蘇山のカルデラ内に位置する内牧町で、学生として民俗学調査実習に参加した際にも、狐に化かされて山の中を放浪したという体験談を聞く機会があった。唐人町は、当時から福岡という都市の中心部に位置していたが、夜中の街路を舞台として、このような、狸に化かされ反対に人がだまし返すという人獣の交渉譚が語られていた。小姓町は福岡市の中心に位置するが、当時はカッパの話も伝えられていた。

 カッパ 「神社の裏の沼にはカッパが住んでいる。同級生が、沼を泳ぐカッパの姿を見たことがある。カッパは子供の「しりこだま」を欲しがる。子供のころ、盆の供物を乗せた精霊船を海に流すのに、友達と百道の海に入って泳ぎながら、精霊船を沖まで運んだ。海から上がった友達のお尻に血がついており、それをカッパにしりこだまを抜かれてしまったと思った。それからも、普通にその友達とは遊ぶのであるが、「こいつは、しりこだまを抜かれとるもんね」と考えて、その子がこれからどうなるのか恐ろしくなることがあった。」

 これは百道浜での話なので、海にもカッパがいると考えての話である。恐らくは、父親の解釈ではないかと思われるが、この話も、子供の身体に関わる感覚を呼び起こし、友達がなにか別の存在となった気味悪さと同時に、自分自身も襲われるかも知れないという、怪異と自身との遭遇の可能性を連想させる。次の話は、父親自身の体験談も含むものである。

 火の玉 「火の玉には気をつけないといけない。あれは墓場で死体から出た燐が燃えるからというけど、足を開いていて、その足の間を火の玉がくぐると、その人は死んでしまう。だから火の玉を見た時には、急いで足を閉じなければならない。弟と銭湯に行って、外に出た時に、銭湯の前の大木の枝の上に、金盥ほどもある大きな火の玉が燃えているのを見た。驚いて家に逃げ帰った。」

 火の玉が足の間を潜ると死んでしまうという話は、私も別の機会に聞いたことがある。小学校からの帰り道、家が旧い農家の友人から、火の玉を見た時に、うっかり足を開いていると、火の玉がシューッと足の間を通ってしまう、そうすると死んでしまうと聞かされた。恐らくは、福岡の町から農村まで、ある程度の広がりを持った話であったと思われる。足の間については、船幽霊の正体を見分ける際に、足を広げて股から除くという呪法がある。霊的なものの出現に際して、それから受ける負の影響を避けるための身体的な所作・呪法を行うことについて述べたものであるが、「見る」という受け身の体験を、「足を閉じ」、避けるという能動的な所作へと結び付ける。このことにより、この話は、聞く者、語る者双方にとって単なる体験談から、伝承的な知―魔除けの手段の受け渡しの意味を持つようになっている。このような知識を持っており、かつ、それを友達に伝えることは、子供にとっては、自分の知識の深さを示し、優越感を感じる機会でもあった。

 馬の首 「小姓町の長屋は、黒田藩の小姓たちが住んでいた。中には馬の世話をする役目もいたんだろう。姉さん(父親の姉)が住んでいる長屋の中庭には柿の木がある。そこには夜、馬の首がぶら下がる。子供のころは、夜、その柿の木を見るのがえずかったやね」。

 馬の首が木に下がるという話は、夜、首を失った首切れ馬が走る、あるいはヤギョウサンと呼ばれる存在が首切れ馬に乗って来訪するという話と同じく、全国的に展開する定型的な話である。また、柿の木は、新婚夫婦の床入りの際に行われる「柿の木問答」など、境界性に結びつく樹木である。しかしながら、この話を聞いた当時は、当然そのような、民俗学に関わる知識はなく、ただ馬の生首が枝から下がる異様な光景が脳裏に浮かび恐ろしかった。馬の生首が下がるだけで、見る者に何かの害を成すわけでもないが、話を聞いた際の視覚的なイメージにはかなり強いものがある。ことばが呼び起こす視覚的なイメージは、怪談を成立させる大きな要素である。また、この話は、黒田藩で飼馬の世話をしていた小姓達が生活していた長屋という空間について語られた話でもある。次に紹介する話も、博多の古い商家について語られていたものである。

 ひよこ 「古くから続く鳥鍋屋があってたいそう繁盛していた。子宝にも恵まれたのであるが、しばらくすると、赤ん坊は、全身が赤くやけどのように腫れ上がる病気にかかってしまった。医者に診せて、手を尽くしてもどうしても治らない。ある夜、主人が、寝つかれず、赤ん坊の様子を見に行こうとすると、台所の方から「ひよひよひよひよ」とひよこの鳴き声が聞こえて来る。不思議に思ってそこに行くと、「ひよひよひよひよ」と鳴きながら沢山のひよこが家に入って、そこに赤ん坊が運ばれて来ている。店主が、恐ろしさに身動きができなくなっていると、ひよこたちは赤ん坊の下に入ってその身体を持ち上げ、竈の鍋のまだ熱い残り湯の中に、ざぶんと

 実際の語りでは、最後の部分でいきなり大声を張り上げ、聞く者を驚かすという演出が行われた。子供のころは、その部分で驚かされることがわかっていても、聞くたびにびっくりしたものである。今、思い起こすと、いくら沢山集まったとはいえ、ひよこが子供を持ち上げられるのか、など無粋な疑問も浮かぶのだが、この話を聞いた当時は、テレビアニメの白黒版「ゲゲゲの鬼太郎」の放送された、沢山の小さな妖怪だるまが鬼太郎を集団で襲うという光景を連想して、話の不自然さについての疑問はわかなかった。恨みを持った小さな無数のひよこが悪意をもって無力な赤ん坊に災いを成す。職業上の殺生がその行為者の子孫に及ぶとする因果応報的なモチーフをまとった話であり、何らかの原話に基づくものではないかと思われる。殺生に関わる職業に負のイメージを付帯するものであり、それらの職業への差別観が無意識的に表出されているものともいえる。表現上は、小さなかわいらしいひよこの姿と「ひよひよ」という鳴き声や、そのひよこたちの異常な行動、そして、無力な赤ん坊の感じる熱さという身体的な感覚が聞く者に恐怖感を呼び起こす。

 さて、最後の話は、定型的な説話として知られる「飴買い幽霊」の話である。戦中の小姓町でもこの話が伝えられていた。

 飴買い幽霊 「飴屋があって、繁盛していたが、ある時から夜になると顔色の悪い女が水飴を買いに来るようになった。あまりに毎晩の事なので不思議に思って、店主が後をつけると、寺に入って、境内の墓場の新しい土饅頭の卒塔婆の前でその姿が消えてしまった。翌朝、飴屋がその寺の和尚に話をして、墓場へ行くと、赤ん坊の泣き声が聞こえて来る。驚いて、その声がする土饅頭を掘り返して、棺桶の蓋を開くと、埋葬された女が赤ん坊を抱いて、その赤ん坊の口には、べったりと水飴がついていた。身重のまま亡くなって埋葬された後も、子供を産んで育てようとしたのだろう。」

 この飴買い幽霊の話が具体的にどこの寺にまつわるものかは聞かなかったが、恐らくは福岡市天神町の曹洞宗寺院である大湖山安国寺の話であると思われる。安国寺の境内には、飴を買いに来た母親とその子供の墓碑も建立されており、福岡では有名な話である。飴買い幽霊の話として、その内容は定型的なものであるが、この話では、助け出された赤子が、高僧など優れた人物に成長するという部分は欠落している。安国寺では、その子供も亡くなったとしている。怖さというより、死んでも子供を守ろう、育てようとする母親の愛情の強さと、死者であることの悲しさ、哀れさを感じさせる話である。怪談は、単なる恐怖を伝えるものではなく、そこに隠された人の生命の儚さ、愛情の哀しさなど、人の複雑な情感を表現するものでもある。

 

他にも様々な話を父親からは聞いたのが、紙数も尽きたので、ひとまずは筆を置く。

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