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「ほんとうの留学の話をしよう」Discussing the Reality of Studying Abroad

「比文と言えば?」という問いに対して、必ず何番目かに出てくる「国際性」や「留学」。今回は留学経験者がサンヒカに集まり、実際の体験や考えたことなどを話し合いました。

 

■自己紹介

――まず自己紹介からお願いします。

相良(以下、さ):比文3年の相良です。去年の今頃(2月)から半年スペインのサラマンカ大に留学し、その後1カ月、ヨーロッパ旅行をしてきました。

砂子(以下、す):4年の砂子です。まず2年の夏に1カ月、カナダのUPEI(プリンス・エドワード島大学)に語学研修で行き、その後、3年の9月から翌年の1月まで、今度は交換留学でUPEIに行きました[1]。帰国してその約2カ月後、20163月から1年休学して韓国に留学に行き、帰国して就活をし、卒論を書いて今に至ります。

藤田(以下、ふ):同じく、5年次4年の藤田です。留学経験は、まず1年生の時に3週間フランスに行きました。これはボランティアです。その時の経験が自分で引っかかっていて、3年の夏から1年間留学、フランスのブザンソンのフランシュコンテ大学に留学しました。それ以外に、1年の時にインドネシアに筑波大学のプログラムで1週間派遣していただきました。留学中にはカナダ、ヨーロッパ、トルコなどに旅行に行きました。

さ:砂子さん、モロッコにも行ってませんでしたっけ?

す:留学以外にも、1年の終わりに、「大学の世界展開力強化事業」(文科省/日本学術振興会)の一環で、インドネシア・ジョグジャカルタのガジャマダ大に行ったし、今年の夏には筑波大の「海外武者修行支援プログラム」でモロッコに2週間ぐらい行ったよ。

さ:私も一年夏に一か月弱UPEIの語学研修に参加したし、ヨーロッパ旅行中にハンガリーで一週間強、現地の子供たちと遊ぶボランティアしたりもしました。

 留学どう1

■なぜそこに?

ふ:筑波大の留学プログラムって多々あると思うんだけど、皆さんは留学先をどうやって決めたんですか?

さ:スペインの理由ですか! うーん、改めて聞かれると、どう答えればいいのか(笑)。まず、なぜスペイン語というところからだと思うんですが、最初に第二外国語を取るときドイツとスペインで迷ったんですよ。これから使える言語をと思って、まず仏独西語で。そこでラジオ会話を聞いてみて、フランス語が耳に馴染まず(笑)。それで、父がスペイン語がしゃべれるのと、フォルクローレという南米民俗音楽のサークルに入っていたのもあって、スペイン語を選択しました。留学するのも、スペイン語が使えるところをと思って(高校の時にもオーストリアでホームステイをしたりしていたんですが)。もともとスペインの歴史も好きで、ラテンのノリも好きで。友達もスペインの子でいい子がいて…などなどです。

ふ:ちゃんと話せる理由があってうらやましい!(笑)でも、スペインでもなぜサラマンカ?

さ:いや、じつはスペインでは私の行ける提携校が1校しかなかったんですよ。4年間で卒業したいと思っていたのもあって。バルセロナ大は芸術専門学類生しか行けないし。でもすごくラッキーで、ふつうの年は倍率も高くて試験もあるんですが、私の時は応募ゼロで、スペイン語の試験もなくて(笑)。本当は9月からだったのに、2月からでいいよ、とも言ってくれて、すごく都合がよくて。いやー、ラッキーでした。

ふ:なるほど。そういえば我々は全員非英語圏に留学してるね(笑)。相良さんはなぜ英語圏を選ばなかったの?

さ:いや、英語圏でもよかったんですけど。イギリスは競争率が高くて大変そうなのもあったし、一度UPEIで英語圏も経験してますし。4年で卒業するため交換留学で、できれば2年の2月から半年間~という私の希望で行けるベストな留学先がサラマンカ大学だったんです。それと、そもそも留学に行きたい理由の一つとして、ストレスに弱くてすぐワーッとなっちゃうところがあったので、誰も知らない人のところに飛び込んで、そこでやっていけるかチャレンジしてみたかったんです。これからの経験として。

ふ・す:おお~!

す:私は、じゃあ就活用のマジメな答えで(笑)。大学入学ぐらいまで自分は国公立型というか、得意も苦手もあまりもなく、大体平均ぐらいで、これだけは負けないという誇れるものもなくて。平凡というか。だから自分の特技が欲しいな、と思っていて。そこで少し引っかかったというか、ちょっとできないのが英語だった。でも1年まではそこまでダメだと思ってなかった。まあ得意じゃないけど、日本で生きていけば問題ないかなって。そんな時、さっき話した、インドネシアに行く機会があって。インドネシアは全然知らなかった、言ってみれば「想像の外」の世界で、新鮮で面白かった。それで、1週間でもこのぐらい面白いんだから、もっとたくさんいけばもっと面白いだろうけど、その時に英語が障害になりそうだな、と思って。実際にはガジャマダ大では日本語学科の人たちと交流したので言語は壁にならなかったんだけど。そこで英語やろうと思って、UPEIの研修に1カ月参加してみたの。そんなにしゃべれて楽しい、というところまで行かなかったけど、でも最後に少しだけ、そういう感覚があった。それで、じゃあもうちょっと行きたいと思って、親と相談してOKをもらって、学類の、その時いたコリンズ先生にも相談して。それでUPEI1年行けることになった、という感じ。だから、どっちかと言えば英語ができないからできるようになりたい、マイナスをゼロにするための留学だった。でもきつかった…。語学研修じゃないからふつうに授業も受けないといけないし、そこでは課題やディスカッションもあるし。ほんとにきつかった(笑)。

というふうに、英語は「できない」といところから来たけど、韓国語は第二外国語で勉強していて、最初から嫌いとかできないでもなく、ずっと好きだった。それでカナダ留学から帰ってきたとき、「あと1年あれば韓国行ってたのに~」って、親も含めていろんな人に言っていたら、親が「休学したら」と言ってくれて。じゃあせっかくだし、完全に休学していこうと思って、韓国語の先生に相談し、延世大学校に行きました。そこでは、これ自慢だけど(笑)、成績がいい人がもらえる奨学金を毎学期もらってました。4学期あって、最初の学期は来たばかりだから無いんだけど、その後の3つの学期で全部。と言う感じで、韓国語ははじめからポジティブに、ひたすら楽しんでました。今自分のなかでは英語はやっと平均、誇れるものとして韓国語、という感じかな。

さ:韓国語、英検1級みたいなの取ったんでしたっけ?

す:そう、韓国語能力試験(TOPIK)の1番上のものを取りました。英語より自信あるよ(笑)。

さ・ふ:すごーい!!

ふ:じゃあ僕からは、就活で使えないタイプの話をしますね…(笑)。さっきも言ったとおり、1年生の時にフランスに行ったんだけど、当時はかなりバカだったので「フランス行ったらモテるはずだ」ってノリで行っちゃいました。そこでのボランティアは南仏の小さな村に3週間。信号もないような田舎の村で、テントで寝泊まりしながら何故かカマドを作らされました。ボランティアメンバーは世界各国から15人ほど。でもまあ、異国のド田舎へボランティアしに来るような人々だから、ちょっと暇な学生とか休職中の青年とかがほとんどで、言ってしまえばお互いそんなに違わない。だからいい経験だったけど、特に引っかかりなく終わって。なんとなーく「これが異文化交流なのね~」って感じで。

さ・す:うんうん。

ふ:でもその後、せっかくだから観光もしようと思ってパリにしばらく滞在したんだけど、その時に路地裏に連れていかれて脅されるという“カツアゲ事件”にあったんですよ。その相手が、たぶん移民系の人だったんだけど、その時に外国に対して自分のもっていたイメージが変わった気がします。と同時に、自分がアジア系として見られているんだなと言うことも強く意識した。そのことがずっと印象に残っていて、今度はちゃんと1年ぐらい住んでみたい、移民という存在について知りたいと考えるようになって。それで、3年の時に申し込んでブザンソンに1年住み着いたわけです。そこでは移民系の人たちとも仲良くなれたし、立て続けに発生した「イスラーム系テロ事件」について肌感覚で接する中で、移民について浅はかながらも理解が深まっていきました。そうしているうちに、だんだん「アジア人」ではなく「日本人」という意識が自分のなかで芽生えてきて。だから就活でも、日本人として働きたいというのがひとつのモチベーションになりました。

 

■衝撃の体験

――その事件のこと、もう少し聞いてもいい?

ふ:いいですよ。よく覚えてます。ノートルダム大聖堂の前で歩いていたら、大きめのアラブ系の人が近づいてきて、つたない日本語で、ワタシトモダチ、みたいな。どう見ても怪しいんですけど、そのときは初めての海外一人旅ってこともあって、危機意識を持ち合わせていなかったんですね。それでいい人かなと思って話したり案内してもらったりしているうちに、気が付いたら人がいない裏路地で“壁ドン”。そして、財布の中身を出せと。いやー、正直めっちゃドキドキしました(笑)。まあ、今では笑い話です。そして、今思うとそのおかげで海外に興味をもったというのもある。でも海外に住んでるとやっぱりいろんな経験するよね?

さ:ありますよ!留学中は、スマホ取られて取り返したり、タクシーでぼったくられたり、とか。でもそれよりすごかったのが、留学が終わった後の1カ月のヨーロッパ旅行。楽しい、辛いのジェットコースターみたいで。まず、フィンランドに行く予定でタクシーに乗ったら、目的の駅までの道を遠回りした挙句違う場所で降ろされて電車に乗れず、電車も遅延したから結局、飛行機に乗れなくなってしまって。仕方ないから空港で高いチケットを取りなおして、向こうに着いたら夜中2時。Airbnbでその夜泊まる予定だった家の人に電話して、今から行ってもいいと言われたのでタクシーで向かって、その時点で手持ちはごくわずか。翌朝、ヘルシンキでお金をおろそうとATMにカードを入れたら、カードが返ってこなくて。友達のところに電車で行く予定だったんだけど、その電車賃は20ユーロ、でも手持ちは6ユーロしかない(笑)。友達がいればお金を借りれたけれどそれもダメ、仕方ないから観光案内所に行って事情を説明したが、ATMからカードを出せないと言われた。もし出せても、それがあなたのだっていう証拠がないし、と。日本のカード会社にも電話したがそれは現地の問題だから対応できないと言われて、ほんとに焦った。親にも泣きながらLINEしたんだけど、もう日本は夜中で、銀行も閉まっていて送金もできないし、日本のネットバンキングも口座が無いからできない。困って日本の領事館に行ったら、カードは諦めなさいとカードを停止してもらい、さらに親切にも50ユーロ貸してくれて、ようやく何とか助かった。それで、その次に…。

す:まだあるの?

さ:そうなんですよ!その次にリトアニアからポーランドを経由してギリシャにわたる予定で。リトアニアからポーランドは長距離バスだったんだけど、そこで欧州の学生ビザがもうすぐ切れることに気づいたんだけど、疲れてそのまま寝ちゃって。翌朝5時、ワルシャワ中央駅に到着した時に、目が覚めたらもうお客さんが下りていて、自分も焦って下りたら、バスの中に、寝る前に見ていたパスポートを置き忘れてきちゃって。下りた瞬間に気づいたんだけど、周りの誰も英語しゃべれない。中央駅なのに!(笑)。駅のジュース屋さんのお姉さんが英語が喋れたので手伝ってもらってバス会社に連絡したが朝早すぎてダメ、警察に行ったが警察も英語が喋れずダメ。帰れ、みたいなつれない対応だったんだけど、ひるまずに、英語しゃべれる奴を連れて来いと30分言い続けたら、ようやくしゃべれる人が来て、その人がまたバス会社に電話してくれて、そうしたらそのバスはもう別の国に行ってしまっているけど、その日の夜中の11時にまた中央駅に帰ってくるから、そこまで取りに来いと言われて。本当はその日の夕方の飛行機でギリシャに行く予定だったけどキャンセルして、代わりにホテルを取って。その夜中央駅でバスが来るのを待っていたんだけれど、1時間以上経ってもバスが来ない。ただこの日は一緒にバスを待っていた人たちが英語を喋れたからまだよかったけど。夜中12時頃にようやく「ごめんごめん、道が混んでいて」とか言いながらバスが来て、パスポートを受け取れた。その後、すぐに飛行機のチケットが取れなかったから仕方なく(笑)何日かポーランド観光して、ようやくギリシャに行ったと思ったらそこではお財布を盗まれて!

この旅行、楽しい話もいっぱいあったけど、つらい話もキリがない(笑)。そうそう、ビザ切れの話なんですけど、トルコ乗り継ぎでドイツ行った時に、飛行機が遅れて一晩トルコのホテルで待たされたことがあって。そこで一度空港から出てトルコに入国したから、結果的にビザ期間内に欧州から一度出たことになったので、うまい具合に解決したんだけど。

ふ:すごいね…。それ、だいたい一人旅だったの?

さ:大体は一人旅で、ときどき現地の友達と一緒に見て回ったり遊んだり。でも移動は基本的に一人だった。大きなトランクかかえていつも走ってる感じで、筋肉めっちゃつきました(笑)。

ふ:壮絶だったね…。相良さんは座談会始まる前に「就活が不安です」って言ってたけど、それを乗り越えられたんなら、就活とか楽勝ですよ(笑)。

 留学どう2

■「日本人」を感じる

す:いやー、このすごい話の後には何も話せないわ(笑)。でも辛かったのは、やっぱり最初、英語話せなくて。そのころはツイッターでウツウツとつぶやいてた(笑)。一番ひどい時は、大学のカフェテリアに行って、心の中で「お前ら箸も使えないのかっ」て叫んでみたり。病んでた(笑)。

ふ:UPEI、わりとのんびりしたところらしいけど。

す:そうそう。小さな島で。でもアジアとかいろんなところから留学生が来てる。いいところだけど、夏に行くのがお勧めかな。冬は寒いし、雪で試験日が延期になったりなんてことも。私も、試験直後にモントリオールに遊びに行く予定でいたんだけど、雪が降って延期しそうでひやひやした(笑)。先生たちも分かってるから、何とかしてくれたけど。

さ:そういえばアジア人で思い出したけど、私もスペインの学部内でまわりはみんなエラスムスのヨーロッパ人とか、中南米のスペイン語ペラペラの人たちばかりで、アジア人は少なかった。その状況で、「アジア人」と言われれば私だし、「日本人」も、「小さいの」も私(笑)。常に日本、アジア代表みたいな感じで、日本はもちろん、全然知らない中央アジアについて聞かれたり(笑)。あとたまにちょっと差別っぽいことも言われた。私がバルで飲んでいた時、酔っ払いに絡まれたりもしたし。

ふ: あるよね。学生同士のコミュニケーションではあんまり差別的な要素は感じなかったけど、現地の人々と接する中では色々なイベントが発生する(笑)。でもまあ、あっちからしてみると日本の場所もよく知られてなかったりして、仕方ないとは思う。それに、こっちも同じように、急にリトアニアとかアゼルバイジャンとか言われても正確な位置とか分からなかったりして。勉強不足のために恥ずかしい思いをすることも多かった。

 

■留学、日々の楽しみ

――つらい話が多いので、楽しい話を。どんな風に過ごしてました?

す:カナダでは寮生活、ルームメイトはいるけれどプライベートがあってほぼ個室みたいな感じ。そこで寝起きして、食事はカフェテリアで、学生用のミールプラン。朝からずっとビュッフェで、これはいつ行っても食べれる。全部おいしかった。ジャガイモ料理とか、島だからか、ムール貝とかとてもおいしかった。一緒に行ってた小松さんといっぱい食べたなあ。でも冬は寒いし、授業も多かったから、まあ楽しみはそれぐらい。あとは授業に行って、図書館に行って、という生活。ほんとに図書館に籠らないと授業についていけないから。でも夜は少しゆっくりして。

ふ:ミールプラン、いいね。ヨーロッパもそうだけど、経済的なところは学生に優しいよね。

す:でも、ハロウィンパーティはすごかった。本気でメイクと仮装してて。あんまり頻繁じゃないけど、パーティの時の盛り上がりはすごいよね。

さ:私のいたのは街なかで、広場の近くだったから、毎日のように仮装してパーティに行く人を見かけた。チアガールとか、ミッキーマウスとか。そこら中に100均みたいな店があって、そこでカツラとか安い仮装の道具が買えるから。

す:それは都会っぽいね!でもパーティは、日本ではしないから、留学あるあるのひとつかもね。UPEIでは学内のバーで週末にクラブイベントがあったりした。

さ:パーティがそこらじゅうで開催してるから、友達と遊ぶときは「今晩ご飯いく?」の代わりに「パーティ行く?」とか、よくあった。ディスコは、音楽がうるさすぎて話ができないんだけど(笑)。

日常生活に話を戻すと、サラマンカでの生活は、まず学生は家をシェアするのが主流で、一人でアパートを借りるというのはまずないです。だから私もfacebookでそういうルームメイト探しのコミュニティに参加して聞きまくった結果、すごい安いけど場所もいいところを見つけられて。そこは大学の先生の家で、その一部を学生に貸しているところで、そこをスペイン人3人と私がシェアするという感じでした。でも先生も学生もみんなスペイン語しかしゃべれなくて!英語話せるって言ってたのに(笑)。はじめのころとか、スペイン語まだ分からないからゆっくりしゃべって、って言っているのに早口で何言っているか分からなくて大変でした。とまあ、その4人で共同生活。それでスペインは15食なんだけど。

ふ・す:え~~!

相良:そう、朝、お昼前の軽食、遅めの昼食、夕方、そして遅めの夜ご飯。まあ全部いっぱい食べるわけじゃなくて、たとえばリンゴ1個でも食事扱いだったりするんだけど。それから驚いたのはほんとにシエスタ(昼寝)をするってこと。人によるらしいけど。家でテレビ見てたらルームメイトに「今からシエスタだからちょっと音小さくして」って言われて。だいたい24時がシエスタ休みで、お店も閉まっちゃう。食事は、バルがたくさんあるのでけっこうお世話になった。タパス(一品料理)が、トルティーヤとか、魚の酢漬けとか、学生街だからだいたい11ユーロで、コーヒーとか飲み物も1ユーロとか。タパス2品と飲み物1品、みたいな感じでご飯にしたり。あとは、自分でパスタ作ったりもしたし、パエリア用のお米も売ってるから、それを買ってきて鍋で炊いたりした。

す:いいなあ、カナダのお米は口に合わなくて。たまに日本人の子の家で食べてた。だから韓国は料理がおいしくてよかった(笑)。

ふ:お米はあるあるだね。ボランティアの時も留学中もそうだったんだけど、アジア系で誰か一人は必ず炊飯ジャーを持ってる人がいて、ときどきアジア系で集まってご飯食べたりしてたなあ。

ところで電話はどうしてた?

相良:SIMだけ買って、日本から持ってったスマホで。

砂子:私は留学中はSIMカード買わずに、ずっと機内モードで、なんとか耐えた。ネットは主に家で。特に韓国とか、wifiはどこにでも飛んでいるから大丈夫だったけど、道に迷ったときはちょっと怖かったな。

ふ:ヨーロッパでは携帯持ってるの義務じゃなかったっけ?なるほど。フランスでは移民証の交付の時に銀行口座とかが必要になるんだけど、それには携帯番号が必要で。必死になってケータイの契約をした記憶がある。

さ:スペインはそんな厳しくなかった気がします。【*注:この辺りのことは、読者の方はそれぞれでご確認ください】

 あと、あるあるといえばお金だけど…私はJASSOの奨学金もらってたから、それで何とかなった。

ふ:それからあるあるといえば、髪切るのも大変、とか。

さ:そうそう、だから私、髪は伸ばしてました。現地で切るとはずれることもあると聞い  て(笑)。

ふ:ヨーロッパとアジアとでは髪質が違うから、現地の美容院に行くと“大変なこと”になります。それが怖かったので、僕はアラブ系の床屋さんに行ってました。バリカンで一気に切られるけれど。しかし、それほど失敗はなかった。

す:そういう意味では韓国はまあ大丈夫だった。染料は強いって聞いたから、染めるのは日本人がやっているところでやった。

ふ:シャンプーとか、化粧品とかは?

す:そういえば、カナダにいるときは髪はバサバサしてた。軟水と硬水の違いって思ってたより大きいな、と…。味も違うし。

さ:私も、硬水だからキシキシになって聞いてたけど、でもサラマンカはそこまででもなかった。でも高校の頃のオーストリアは完全に硬水の国で、味は確かに慣れなくて。お店でふつうにお水頼んだら、硬水の炭酸水が出てきて困ったこともあった。お水高いし!

ふ:水買うと高いんだよね~。下手するとビールとかワインの方が安かったりするわけで。

 

■授業について

ふ:授業のほうはどうだった?

す:授業は、さっきも言ったけど辛かったです。でも、先生が助けてくれた。何でも聞いて、と言ってくれて、レポートの書き方まで丁寧に教えてくれて。クリスマスも家に誘ってくれんですよ!これはすごくうれしかったなあ。

ふ:そういう出会いっていいね。

さ:私もはじめスペイン語が全然わかんなくて。先生たちも英語しゃべれないし、留学生担当みたいなところに質問に行っても、そこの人も英語しゃべれなくて(でも筑波でもそういうところあるかも…)。スペイン語も、ほんとにみんな早口だしスラング使うしで、言葉がやっぱり大変でした。あと、みんな、いい意味でも悪い意味でも適当(笑)。授業もゆっくり始まったりするし、突然授業が休みになったりとか、レポートもなくなったりとか、あれ、先週言ってなかったっけ?みたいな(笑)。

ふ:僕もやっぱりフランス語、全然わからなかったなあ。だからICレコーダーを教卓に置かせてもらって講義を録音して、それを家で聞いたりしたけど、やっぱり難しかった。だからまあ全部を理解するというよりは、半分はフランス語の勉強、ぐらいに思って。

さ:私が行ったのはマスコミ学部だったので、授業も、著作権の取り方とか、映像作品がどうのこうのとか、日本語でも分からないような専門用語がどんどん出てきて、大変だった。だから言葉を拾って、それをウィキペディアで調べたり。

す:それも留学あるあるかも。録音とか、日本語でググるとか。まあ、留学って普通につらいからね。それ以上に楽しむことを見つけたほうがいい。

ふ:おっしゃる通りです。ぶっちゃけ言語学習だけなら、留学しなくたってある程度まではできる。だから、それ以外の“留学の目的”を留学前から考えておいて、そんで滞在中も考え続けていくといいかもね。

さ:でも現地いけば、スペイン語話すしかないから、やっぱり上達する。それと私は生きのびるために英語も日本にいた時よりだいぶしゃべれるようになった(笑)。

 

■留学のホント

す:カナダ留学は大丈夫、なんとかなると思ってたけど、やっぱり大変で、そう簡単にはいかなかったけれど、でも何とか4ヶ月乗り切れた。その「何とかなる」のなり方が予想と違ったけど(笑)。努力したり、周りに助けられたり。

ふ:思ったより、毎日が刺激的、というわけでもないんだよね。でも大学生のうちに留学することには間違いなく意義があって、それは“外国人になる”ってことだと思います。「外国人としての自分」が日常になる、という経験を若いうちにできたことは、本当によかったです。マイノリティ、っていうのとも違うかもしれないけれど。でもそれが一番だったと思う。

さ:うーん、振り返ってみると…。想像の300倍英語は通じないし、適当だし、でも想像の300倍、いい人たちで。困っているときに、義務感ではなく、すごく自然に、100%の善意で接してくれる。いつも誰でもというわけではなくて、何言ってもダメな時(人)はダメだけど、でも助けてくれる人は何も言わなくても助けてくれる。そこで暮らしてみて、あきらめちゃダメなんだということを強く感じた。適当にごまかしたり、泣き寝入りとかじゃなく、主張し続けること。わかんない、納得いかない、と、言い続ける。そうすれば、あきめなければ、誰か助けてくれる。何回もたらいまわしにされたけど(笑)。

す:そういえば最近、留学した人で後悔した人はない、というキャッチコピーが話題になったけれど。私はちょっと違うと思う。

さ:私も!

す:留学って、全員が行かなきゃいけないものでもない。でも、行ってみて悪いことはない、だからお金が何とかなるなら行けばいい、と思う。

さ:そう。それでうまくいかなきゃ帰ってくればいい。繰り返すけど、義務で行く必要はない。義務で行っても、向こうで日本人同士でつるんじゃうだけだし。まあ、言葉が通じると落ち着くというのも分かるけど。

ふ:あえて日本人がいないところに行く方が楽しいよね。

す:だから必ず留学しなさい、とは私は言わない。得るものは絶対ある、でもそれしなきゃ大学いった甲斐が無い、みたいなのはおかしいと思う。

さ:つらいし、でも楽しい。それに、留学の仕方もいろいろあるし、短期で行ってみるとか、自分に合うもの探していくのもいいと思う。

す:そうそう。交換留学と語学研修では、天と地の差があるので(笑)。 

さ:留学そのものじゃないけど、行って帰ってきて、旅行の価値観が変わった気がします。きれいな場所行くとか、有名なところを押さえるとかみたいなツアーっぽいのより、自分で自由に歩き回って、例えば猫がいたりとか、現地の人と話したりとか、些細なことでも、そういう経験のほうが全然印象に残るなって思いました。自分で発見する、というのが大事。

す:だから、もし自分のなかで留学という選択肢があるなら、頑張ってください!

 

 (司会・構成:木村周平)

 

 


[1] UPEIは比較文化学類と直接の交流協定があり、毎年交換留学を実施している。以下も参照。http://www.hibun.tsukuba.ac.jp/page/dir000048.html 

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